本研究は、女性教育を<知>の継承という観点から捉え、社会文化史、政治思想史における「女訓」という歴史的視座の有効性を考えるとともに、明治期に行われた「女性教育の内実」と「教育という営為」を、天皇・皇后側近、政府首脳、民間三者のありかたと、彼らが編纂した教材、読み物、表象により明らかにすることをめざす。 初年度にあたる平成22年度は、2月より『文部科学教育通信』誌上で連載を開始した「<知>の継承から考える明治期の女性教育一先駆者の気概に学ぶ-」において、明治という時代に、学ぶことによって自らの可能性と人生とを切り開こうとした女性たちの姿を、とくに漢学との関わりから明らかにした。 具体的には、明治期の女性教育において主導的役割を果たした美子皇后、皇族・華族との繋がりを活かしつつ私立学校を創設した跡見花膜、福岡の地で、頭山満ら後に政治結社(玄洋社)を設立する若者たちを教え鍛えた高場乱、殖産興業・富国強兵を掲げた明治政府が、外貨獲得と欧米の先進技術導入のために設立した富岡製糸場で工女として働き、その記録を残した和田英、結婚によりアメリカに渡り、夫亡き後、コロンビア大学で講師として日本文化を教えた杉本鉞子を取り上げた。 彼女たちは、日本の近代化の時にあたって、それぞれの形で、新たな世界へと一歩を踏み出した。そのとき彼女たちを支えたのは、平仮名による『女大学』の世界だけではなかった。営々と続く学問の世界、すなわち女性には遠いと思われていた漢学の世界もまたあったことを、資料とともに考察、指摘した。
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