近世中期の堂上派武家歌壇では、幕臣や諸大名が京の公家に和歌の指導を仰ぐことが本格化したが、彼らは社会的経済的にむしろ公家を凌ぎ、公家たちの指導振りを俎上に載せて評価し、彼らを競わせた上で、懇切丁寧な指導を行う方を選ぶ姿勢を見せるようになった。江戸の地で多くの門人を持った冷泉家と日野家の競争は、その典型的な事例である。本研究では、享保から宝暦に至る幕臣文化圏の実態、及び天明期以降の松平定信を信奉する層の意識・動向を資料に即して分析し、和歌和文を愛好する武士たちの表現意識が堂上公家を敬いつつも江戸の地に即した詠作の意義を自得するに至る様子を考察した。
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