夏目漱石のアジア観、ヨーロッパ観について、従来の大方の見方は、ロンドン留学の体験を経て漱石はヨーロッパを相対化する視座を有してはいたものの、アジア――中国・朝鮮(韓国)に対しては帝国主義、植民地主義の枠組みからの発想を脱することができなかった、そしてそれがその時代の日本人としての漱石の限界であったとするものであった。本研究は、漱石の作品・日記・書簡等に限らず、東北大学蔵漱石文庫の資料を検討し、「渡航日記」「滞英日記」等諸資料の漱石全集未翻刻部分の記事及び諸資料を調査・研究することを中心に、漱石のアジア観、ヨーロッパ観に再検討を加え、ほぼ通説化しつつある上記のような見解とは異なる漱石像を再構築することを企図した。 研究計画の最終年度にあたる平成24年度は、資料の未収集部分の補充をはかり、またこれまで収集した資料の分析をさらにすすめ、漱石のアジア――中国・朝鮮(韓国)観に関する調査・研究の成果と、漱石のイギリスを中心とするヨーロッパ観に関する調査・研究の成果の総合をはかる研究を行った。その研究によって、従来の見方とは異なる漱石のアジア観、ヨーロッパ観を明らかにし、明治の知識人の代表としての漱石について、帝国主義・植民地主義の枠内での発想しか持ち得なかったという大方の見方を修正し、日本における漱石の評価のみならず、国際的に高い関心を寄せられている夏目漱石について、特に韓国、中国等アジアの研究者の多くがとっている見方を修正し、漱石における帝国主義・植民地主義と関わりについての妥当な見方を示すことができたと考える。 なお平成24度は、上記のような状況にある海外の研究における漱石についての誤解を解き、研究成果を国外に発信するために、韓国、中国、台湾で開催された国際シンポジウム、講演会等で、当該テーマによる発表・講演を行った。
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