本年度は、最終年度であったが、結局、明確になったことは、明治期の廃仏毀釈運動の中で興福寺がいかに壊滅的な打撃を受けたか、その古記録・文書類が散逸したかということであり、大日本仏教全書に収載された興福寺流記等が、案外に新しく、説話伝承に拠っているかという事であった。文学尉においてもその具体的儀式内容は管見に及ばなかった。そこで、常楽会と同じ旧暦2月15日の涅槃会だけでなく、広く伎楽や舞楽の関わる伝統行事に目を向けて、それらを調査する形式を採らざるを得なかった。というのも、昨年度調査に赴いた高野山金剛峰寺の常楽会もすでに四座法要の形式に倣っていたように、いずれの儀式も四座法要以前の形式を保ってはいなかったからである。そこで、6月2日には国立劇場に伎楽の、23日には同所に民俗芸能の公演という具合に、その片鱗を窺うよすがを求めて行ったり、7月には京都に東洋音楽学会の関係発表を、東大寺ミュージアムに永村眞氏の講演を、という具合に手掛かりを求めて彷徨した。また、9月には東大寺ミュージアムで開催された古文書学会の興福寺関係文献の発表に足を伸ばしたが、結局、一番示唆的であったのは、3月の聖徳太子に対する法要である法隆寺のお会式であった。その規模は当時とはまったく異なる、小さな行事ではあったが、そこに古式を見たように思う。そこで、今後は、単なる絵画資料では時代が判定しにくいから、石像や建造物に残る図像資料、法隆寺お会式のように観光化していない儀式を丹念に掘り起こしていくことが重要であると推察される。最終年度の実績報告としては、はなはだ心もとないものとなったが、今後も研究を継続し、蒐集書籍をさらに熟読し、なんとか、四座講式以前の儀式を掘り起こしていってみたい。そのためには、さらに九州地方や奈良県の古寺の行事の掘り起しが必要なように思う。
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