平成22年度においては、感傷主義の理論的な側面を研究した。とくに、ヒューム(David Hume)とスミス(Adam Smith)における共感(sympathy)概念に焦点を当てた。ヒュームによれば、他人の心の中にある感情や情念に人間は直接知りえないので、多くの場合、それらは疎遠な観念にしかなりえない。だが、共感によってひとは他人の中にある感情を生き生きした活力と勢いをもった知覚すなわち印象としてわがものにすることができるのである。こうしたヒュームの共感原理は、他人の苦悩をまるでわがことのように感じ、涙を流す繊細な感受性を重視する感傷主義の原理にほかならない。平成22年度における本研究は、ヒュームの共感理論の社会的性格に注目した。ヒュームの共感理論は、たんに個人間の感情の交流の原理ではない。それは、不当な行為を観察した観察者・市民たちが、被害者の苦しみを共有することによって、不正を正す行動に出るための積極的な原理なのである。本研究はヒュームの著作を精読することによって、社会的原理としての「共感理論」の解明を試みた。共感理論の社会的性格は、アダム・スミスの『道徳感情論』においてさらに明確になる。スミスの共感理論は見る者(観察者)の想像力だけでなく、見られる者(被害者)の想像力の重要性を強調している。スミスによれば、社会の調和をもたらすのは、見るものと見られる者の想像力の調和にほかならない。被害者は観察者の共感の程度を推し量り、それに調和するような苦痛を表現しなければならいのである。スミスの共感理論はそうした「見る」・「見られる」の関係を基盤とした、いわば劇場的な構造をもっているのである。そうしたスミスの共感論の修辞的な構造を切り口にして、スミスの感傷主義の社会的側面を研究した。
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