本研究は、アメリカ文化史の文脈を意識しつつ、20世紀アメリカの日常に浸透する進歩の言説と、破局によって前景化される死への眼差しがいかに互いにフィードバックし合ってきたか、交錯する両者の生成のダイナミズムを、バイオポリティカルな視座に依拠しつつ解明しようとするものである。本年度は、文学テクストのみならず、多様なメディアをも視野に入れ、主として通時的にアメリカにおける進化と破局の諸相をめぐる事象を抽出し、詳細な表象分析を行った。本研究の成果の一端は、アメリカ学会第44年次大会部会Aにおいて発表され、『二世紀アメリカ文学のポリティクス』(世界思想社、2010年)所収の論文「ホブズタウンより愛をこめて-『囚人のジレンマ』からフェアリー・ダスト・メモリーへ」として公刊された。本論では、リチャード・パワーズの『囚人のジレンマ』(1988)を取り上げ、主人公エディが没頭する架空の都市計画ホブズタウンと彼の被曝体験の関係を考察することにより、進歩とセキュリティをめぐるアメリカの逆説を、ニューヨーク万博、日系人強制収容、冷戦と核をめぐる問題系と絡めつつ検討した。『囚人のジレンマ』をめぐるジレンマは、軍隊、学校、病院というシステムに文字通り絡め取られたエディが、フーコーの言う「生-権力」に抗えば抗うほど、バイオ・ポリティクスの虜となってしまうことである。その際前景化されるのが、作中人物としてのディズニーがミッキーマウスの魔法の箒を使って撒き散らす<フェアリー・ダスト>である。エディが自ら病の発端となったトリニティー・サイトに立ち戻るとき、この魔法の粉は、原爆の放射性フォールアウトへと反転する。 以上の考察を踏まえ、次年度への橋渡しとして、文明の進化の臨界点に明滅する核の恐怖を炙り出しているドン・デリーロの新作『ポイント・オメガ』を取り上げ、日本アメリカ文学会関西支部11月例会において研究発表を行った。
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