本年度は、論文「シネマの旅路の果て―ドン・デリーロの「もの食わぬ人」における「時間イメージ」」『アメリカン・ロード―光と陰のネットワーク』(花岡秀編、共著、英宝社)を11月に上梓した。「噴火・蒐集・生成―『火山の恋人』における歴史の創造/想像(ポイエーシス)」『災害の物語学』(中良子編、共著、世界思想社)は近日刊行予定。 本研究を締め括るにあたり、「進歩のデザイン」の究極的な方向性として「生命のデザイン」が浮上し、人類の終焉とポスト・ヒューマンの到来をもたらしかねないエンハンスメントの問題系が、「幸福の追求」といかに関わるかという新たな研究の地平が開けた。 完璧な人類のデザインにおいて、進歩の極限と破局が表裏一体と化したパラダイム転換期の合衆国にあって、こうした問題系は大きな裾野をもつ。このような状況を踏まえ、PowersとDeLilloの最近の作品を比較してみると、ある種の共通意識を探り出すことができる。DeLilloのPoint Omega (2010)は、表題通り、Teilhardの唱える進化した人類の叡知の究極点Omega Pointを反転し、それを終末論的な惑星規模のマクロ的時間相において捉え直した問題作である。PowersのGenerosity(2009)の副題はまさにAn Enhancementだが、この小説においても、Teilhardへの言及が見られる。Powersが言及する「引き金点」を、進化の臨界点Omega Pointとして捉え直してみると、DeLilloのWhite Noise (1985)やCosmopolis (2003)をエンハンスメント小説の古典として読み直すことが可能である。遺伝子操作や人工知能や脳科学が孕む問題系を扱うPowersの一連の作品や、Margaret Atwoodの近作も射程に入れ、今後のさらなる研究課題の視座を確定した。
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