19世紀イギリスにおける文学と大衆ジャーナリズムに見られる移民表象を探るにあたって本年度は、1881年のポグロムを契機とする東欧ユダヤ移民と彼らのイースト・エンドにおける生活に対するイギリス社会の反応を明らかにすることを目的とした。そこから得た知見としてまず言えることは、当初こそ貧しい彼らに対して友愛の感情や寛容な態度が示されたが、それは次第に非難や排斥の姿勢へと変わっていくということだ。周囲の土着労働者たちを中心にして、そうした見方は社会全体に広がる。彼らの目にユダヤ移民は、「繁栄の都の中の外国」であるイースト・エンドにイーディッシュ文化に彩られたゲットーという自分たちだけのまさに外国を作り出す侵略者と映るのである。その中で苦汗労働に従事する彼らは、イギリス人労働者から仕事を奪う脅威となる。同時に激しい肉体労働を嫌うユダヤ移民は、帝国主義の興隆とともに盛んに吹聴された男らしさを欠いた「女々しい」、ジェンダーの差異を侵犯する存在と見なされる。移民は仕事のみならず住環境をも侵害する者と映る。アイルランド人が豚小屋との繋がりで捉えられたように、ユダヤ移民の住居も不潔でリスペクタビリティとは無縁なものと捉えられる。このようにイギリス人はユダヤ移民を劣等人種と見なして、自分たちとの間に境界線を設定するわけだが、実に興味深いことに、ブースの『民衆の生活と労働』から見えてくるのは、そうした眼差しが孕む多くの逆説や矛盾である。例えば、彼らはリスペクタブルではないが粗野なわけでもない。喧嘩好きで騒々しいが、真面目さや勤勉といった中産階級の価値観を帯びている。清潔なカーテンといったリスペクタビリティの目に見える表示物こそないが、家庭中心の生活を営む。要するにユダヤ移民は、貧民を生物的に退化した他者と見なすブースの分類に収まらない、イギリス人のアイデンティティそのものを侵犯する曖昧な存在なのである。
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