研究課題
平成24年度は、前年度の成果を継承し、1) 黒人と白人における「人種的恥辱」の具体的呼応関係の確認を進めるとともに、2)より広いアメリカ近現代文学・文化、さらにはそれを鏡とした現代日本文化における「恥」 の位相を考察した。昨年度の研究段階から、恥の概念構築と、歴史的文脈に即した個別の作品分析を同時に進めたが、今年度もさらにそれを継続した。特に今年度は、Henry James等についての追加リサーチを行うべく、米国ハーバード大学に出張し、南部奴隷制の顛末としての南北戦争をめぐる白人知識人の思想を検証した。合計4カ年の本研究も後半を迎えた本年度には、加えて、これまで散発的に発表してきた多数の論文を単著としてまとめる作業を終了させ、年度前半に単著として出版した。それを経たのちは、リアリズム作家Stephen Craneを新たな考察対象として研究し、文学史的にはやや後になる時代にわたって恥の表象が展開している様子を確認した。この暫定的な研究成果ついては、中央大学人文科学研究所公開研究会にて口頭発表を行なった。19世紀終盤になって、実際には出征経験のない世代の作家が、一兵卒の「恥辱」表象を核とした南北戦争のリアリズム小説を生み出したことの意義は、Mark TwainやHenry Jamesの散文を理解するうえでも大いに役立ち、これに関する成果はさらに、1冊の編著書に結実した。上記と並行して遂行された日米の「恥の文化論」に関しては、特に、恥辱と向き合い、それを受け入れ生きることを強いられた人々の問題と、その否認のパターンとしての暴力の生成に照準を絞り、成果公開の準備を始めた。これらは次年度に向けてさらに推進が予定される、本研究の総括的概念構築へ至る準備作業となった。
1: 当初の計画以上に進展している
アメリカ文学における恥辱の研究は、まだ体系的にその存在を認知されているわけではなく、その意味からも、本研究は萌芽性・先進性を前提に進められてきた。とりわけ我が国においては、ルース・ベネディクトの『菊と刀』(1946)が出版された以後、「恥」をアメリカ文化の属性として思考する根拠は失われたかに思われてきた。それは無論、ベネディクトが、日本を代表する「恥の文化」とアメリカを代表とする「罪の文化」を、対照的に定義したからに他ならない。しかし私は、南北戦争期より1940年までのアメリカ小説が非常に特徴的な「恥」の主題や表象に満ちていることに気づくに至り、本研究を開始した。果たして私は、過去3カ年において推進してきた個別的課題を通し、「恥」の文学表象が、特に「奴隷制と人種偏見」、「南北戦争における南部の敗北と合衆国への併合」、「近代国家としての合衆国の展開」に係わる歴史認識、さらにはその認識を踏まえたアメリカ人としての自己認識の実態を検証するには欠かせない、決定的な倫理的意味を荷なっている旨を検証してきた。これまでの成果を通し、そのような点を考究しようとする視点自体の意義と可能性は高く評価されてきた。またそれに加え、特にアメリカにおいては、2011年度以降、極めて刺激的かつ学究的な「恥辱」論が複数上梓されるに至った。とりわけ著名な文学研究者であるDavid Leverenzが2012年にラトガース大学出版局から出した_Honor Bound: Race and Shame in America_は、私が本研究で構想した「人種的恥辱」とほぼ同一の"racial shaming"という概念を打ち出し、それについて論じていた。こうした現象は、本研究課題が国際的・普遍的有効性を有していることの証左に他ならないと考える。
本研究は残すところあと1年となり、平成25年度は最終年度となる。同年度には、これまで進めてきた(1)「人種意識」と「恥」の結びつきの具体的 検証および概念化。(2)南部白人文学者および知識人が抱える「恥」の様相に関する調査。(3)黒人文学に表れる恥辱表象の傾向的把握および個別例の整理、ならびに歴史的推移の確認。(4)より広いアメリカ近現代文学・文化における「人種的恥辱」の解明ならびに概念化。(5)黒人と白人における二方向の恥の具体的呼応関係の確認作業を総括し、(6)恥の文学表象が有する思想的意義の考察をまとめ、概念構築を完了する。 これまでの研究段階では、「人種的恥辱」というテーマの時系列を敢えて度外視したテーマ的な概念化と、それらを歴史的文脈に差し戻して行なう作品解釈を交互に進めてきたが、今後は、それらをスピノザ やドゥルーズ=ガタリの哲学における恥辱思想、ならびにフロイト精神分析学における自我の理解を手がかりに総括し、恥という強力な情動がいかに集合的/個人的自己同一化に作用し、いかに暴力とコミュニケーションの両方を誘発し、さらにはいかに、人の自意識や歴史認識、世界構造の理解に作用するのかという問題を探究する。それをもって、研究の総括を行なう予定である。
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『論叢クィア』
巻: 第5巻 ページ: 49-61