1. バラッド詩の系譜を確立するという全体構想の下、本研究課題における今年度の目的は、スコットランド詩人のバラッド詩がナショナル・アイデンティティの形成および変遷に果たした役割をまとめることであった。 2. 本年度は、平成23年度の学会発表「"Thomas Rhymer"の模倣詩とアイデンティティ意識をめぐって」(日本カレドニア学会2011年度大会、神戸海星女子学院大学、2011年9月)の発表原稿を精査し、次の内容を論文としてまとめた。 スコットランドは過去において独立国家であり、独自のアイデンティティを保持しているが、1707年のスコットランドとイングランドの議会合同以降のスコットランドの歴史には、アイデンティティ探求の問題がつきまとっており、ナショナル・アイデンティティの再構築はスコットランド文学においても、絶えず中心となるテーマである。19世紀のWalter Scottと、19世紀末から20世紀初頭のJohn Davidsonは、Thomas Learmont of Erceldoune という13世紀に実在した、スコットランドのシンボルと見なされてきた人物を題材とした伝承バラッド"Thomas Rhymer"の模倣詩を創作しており、この祖国の伝説の人物像は、彼らのバラッド詩によって後世のスコットランド文学界に伝えられてきた。この「うたびとトマス」を手がかりとして、中世以来のトマスのアイデンティティの曖昧性、スコットのトマスの明快な祖国擁護のシンボル性、デイヴィッドソンのトマスの示すアイデンティティの不安について通史的にまとめ、アイデンティティ形成に見られるトマスの多義性、ひいてはアイデンティティ再構築そのものの多重性を指摘した。 3. 発表では言及したEdwin Muirは、トマス像の重層性と、ミュア自身のアイデンティティへの懐疑的論調のため、別途まとめることとした。
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