本年度前半は、まずゴーチエとベルリオーズの作品に焦点を当て、ロマン派の音楽と文学が交錯する点において、声と語り、不在と幻想の問題を論じた。二人の芸術家による作品が、過去の神話を引き継ぎつつも、現実と幻想をつなぐ道筋に新しい表象を与えたことを明らかにした。 続いて19世紀から20世紀にかけての文学・音楽作品における街路の音の表象について調査を行い、室内と街路の関係という近代小説における一つの重要な問題軸と関連づけて論じた。特に、19世紀までのヨーロッパ都市のサウンドスケープで、音風景の基調と特徴を作っていた馬車の音と物売りの声を分析した。主にバルザック、プルーストの小説を対象とし、それと関連する中世の合唱曲からシャルパンティエによるオペラ『ルイーズ』までを参考資料として、街路の物音を考察し、成果を論文にまとめた。馬車の音や物売りの声が、読み解くべき記号としての機能をもつだけでなく、個人の思考において此所と別の場所、現にあるものと失われたものをつなぐプロセスを分析した。時空の広がりが個人の想像に投影され、音の知覚と記憶との連鎖において自己存在が把握される一つの特徴的なあり方が、この研究で浮き彫りにできたと考える。 後半は、間接的通信手段の発展と音楽・文学作品の関係を探った。プルーストの小説における電話の役割、トゥシャトゥによる『忙しい人のための電話で語るゾラの小説<パリ>』、コクトーの『人間の声』などを対象に、電話と声、語り手と聞き手の位置を分析した。電話という発明が、自己と他者との関係に新たな距離をもたらし、身体と声の関係の意識化をうながしたと同時に、小説・音楽作品の構造においても、語り手と潜在的な聞き手/読者(聴衆)の関係に変化をもたらしたことを見た。通信技術の発展にともなう自我と世界の表象の変容が、芸術作品の枠そのものに影響を及ぼした例の一つを捉えることができた。
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