ラシーヌが享受した人文主義的教育の中でも、歴史に関する教養は人格の形成とともに後年の悲劇の創作にも大いに資するところがあったと考えられるため、16世紀~17世紀の人文主義における歴史観について調査を行い、以下のような知見を得た。 17世紀のフランスは前世紀の人文主義から、歴史に道徳的・知的有用性を求める姿勢(歴史の実例=模範とする考え)を受け継ぐ一方、歴史的事件の原因を考察することも重視した。公的な事件の原因を探ることは権力の秘密を暴くことにつながるが、(ラシーヌが深く親しんだ)タキトゥスの『年代記』が17世紀において評価されたのも、まさに政治的な事件の根底に隠された心理的要因を暴く点においてである。この点で「歴史」と「伝記」の区別は曖昧なものとなり、(やはりラシーヌが創作の源泉とした)プルタルコスやスエトニウスなど私的・個人的な歴史の記述において、分析すべき対象は「客観的」な原因ではなく「主観的」な動機となる。歴史家は「人間の行為を心において解剖」(サン=レアル『歴史の用途について』)するのであり、人間の心の複雑なメカニスムを解明し、情念の仮面をはぎとる、という点で歴史家とモラリストの親近性が明らかになる(これはラシーヌ劇の特徴でもある)。歴史の因果関係において、一個人の情念(とくに恋愛の情念)が見えにくい形で、しかし決定的な仕方で影響をおよぼしている、という考えはパスカルの「クレオパトラの鼻」という有名な表現に凝縮されているが、このような考え方じたいは同時代においてすでに広く流布しており、ラシーヌ悲劇の中にも反映されている。「私的な歴史」への志向は1660年代以降に流行した歴史に隣接するジャンル(回想録と歴史小説)においても顕著であり、フィクションと歴史の混在というテーマが悲劇ジャンルとも共通している。
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