当研究は、宗教戦争を時代背景に、詩人たちが国家と宗教という主題をどのように表現したか、歴史の証言者としての詩人たちの実像を、試作品のジャンルごとに明らかにし、庇護者との関係、宮廷、宗教的立場などの詩人の社会的立場を考察し、詩作品と同時代史の関係を明らかにしようとすることを目的とするものである。 最終年度では、研究の一部を「ピブラックの教訓詩について」として、九州17世紀研究会で発表した。教訓詩は古来ギリシャ時代から書かれ、主に教育的な目的で真理、教訓を詩的に表現したものであるが、宗教戦争の時代にあっては、理想と時代の現実との矛盾、乖離を含むものとなっていることを指摘した。 長期間に亘って書かれたバイフの格言集ほど宗教戦争の変化を反映してはいないとは言え、ピブラックの教訓詩においても、アンジュー公(のちのアンリ三世)に従ったポーランド滞在、帰国後のアンリ三世の宮廷生活、続く内乱によって、理想を説くはずの教訓詩が、苦い現実に対する教えと変化していることを、三度に分かれて出版された『四行詩』を出版年度ごとにテーマ、配列の変化を精査することで明らかにした。 研究成果を論文として発表するには至らなかったことは残念であり、また書簡詩など今年度予定していながらで十分に扱うことの出来なかったジャンルもあるが、研究発表を行った教訓詩以外にも、風刺詩、墓碑銘詩等については調査を進めることが出来ことから、研究自体は十分に進捗したと言えよう。
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