カール・クラウスの政治および文化に対する批判は多岐にわたっているが、特に当時の最大のウィーンの新聞『新自由新聞』に代表される文化の腐敗をクラウスは個々の記事に即して剔抉しており、私の研究ではその批判内容を具体的な批判の対象を詳しく調べ、成果としてクラウスの批判精神を精緻に検証し解明することができた。 さらに、当時のマスメディアが煽り立て、批判的知識人たちが同様の傾向を見せて助長した、戦争へと向かう「時代の傾向」をクラウスが的確に把握していたことも当該研究は論証し、クラウスの政治批判を詳細に論証できた。 当該研究では特にクラウスの有する文筆の力による批判精神と演劇的パフォーマンスの実践に着目し、彼が独自の「文芸劇場」という芸術表出形態を創造したことに着目し、彼の批判力の内実と、広くヨーロッパ演劇復興(特にオッフェンバッハ、シェークスピア、ネストロイ三名の劇作家の新解釈)の試みとを跡付けることができた。 従来の研究では偏狭固陋の「論争人間」としてクラウスはむしろ否定的に扱われてきたが、当研究ではクラウスの持つ「土着性」と「国際性」を見出し(ヨーロッパ演劇の再発見)、彼がヨーロッパの政治と文化の領域で、各地域、各文化圏を互いに交流させる「文化的架橋」の役割を果たそうとした試みも詳細に論じることができた。たとえば『二都市について』など一連の評論活動で、クラウスはベルリンとウィーンを対比し、オーストリアとドイツという国家の特質と国民性を「比較文化論」の形で論じており、彼の考察の射程は往々にしてヨーロッパ全域にわたっていることも確認し、そこから当論考は、クラウスの自らへの批判的内省をも含め、その客観的複眼思考を理解し、彼の分析力の鋭さも詳しく論じることができた。
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