初年度は3つの論文を執筆し、5つの口頭発表を行った。 日本・インド・英国をめぐる文化交渉史の基礎作業として、大英帝国の欧州航路の歴史的重要性と、旅行記との相関について調査し、その成果を日本ヴィクトリア朝文化研究学会シンポジウムで報告した。 日本におけるインド旅行記には欧州航路の途上で書かれた付加的なものと、専従的な仏蹟巡礼記に大別できるが、後者の先蹤として鹿子木員信の『仏蹟巡礼行』(1920)を集中的に調査した。鹿子木は、インド独立運動を煽動したとして英領インド政府より国外退去を命じられるが、大英図書館および国立文書館の官憲側の記録と、日本側の記録とを初めて照合することが可能となり、仏蹟巡礼のもつ政治的・文化的意義が明らかになった。この成果は、「戦前期日本ペン倶楽部の研究-日印文化交流と国際文化政策」(研究課題番号22320043・研究代表者目野由希)での研究会で依頼を受けて報告した。 仏蹟巡礼は、釈迦への伝記的関心に基づく近代的な産物であり、欧米での仏教復興運動の影響が色濃いとはすでに指摘があるが、その先例として、稲垣満次郎が中心となったタイからの仏骨奉迎に注目した。英国で発見されタイに寄贈された仏骨の一部を、さらに「仏教国」日本に奉迎した稲垣の意図として、東洋版モンロー主義という稲垣の持論と、インドなどでの仏教復興運動の影響を挙げ、チュラーロンコーン大学の比較文学講座で発表し、論文を執筆した。 関連して、「仏教国」という区分の登場と、その関心からタイ旅行記が増加するに伴い、山田長政が再評価され、多くのアジア主義的小説に登場している事例を新たに発掘し、シーナカリンウイロート大学、チュラーロンコーン大学で発表し、報告書に寄稿した。また1920年代においてアジア主義と黄禍論とが日英で交錯した事例として、画家フランク・ブラングインのオリエンタリズムと、日本での受容と反発とに注目し、論文を執筆した。
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