我が国20世紀の幕開けは、大正天皇のご成婚とともに始まった。日清戦争が終わり、「国民国家」として列強の仲間入りをした日本は、台湾を統治下に治め、不平等条約解消を求めて国際化と国民の意識の近代化へと邁進していた。フィリップ・ブロムは”The Vertigo Years”で1900年から1914年の間におけるヨーロッパの文化とその変化発展が、政治の動きとはまた別に、大衆のなかにあって第一次世界大戦を勃発させる機運をもたらしたという論考を著している。 我が国は、1914年の第一次世界大戦参戦までに、日露戦争を経験することになるが、さまざまな新しいメディアの登場、娯楽などの展開によって「大衆」が大きな力を持ち、世界のグローバル化に追いつく姿勢を見せはじめる。 たとえば、我が国ではまだドイツ人の手を借りなければビールを造ることはできなかった。それができるようになるのは、第一次世界大戦でドイツ租界の青島を占領し、青島ビール工場を得てからである。いうまでもなく、それ以降、我が国のビール産業は瞬く間に大きく成長することになる。 また、一九一一年に浅草で封切られた映画「ジゴマ」は、フランスの新聞「LE MATIN」に連載された変装した怪人が強盗殺人を繰り返すという大衆小説であるが、この影響を受けた事件が多発するとともに警察機構の組織化が進み、さらに江戸川乱歩などはこれをもとに『怪人二十面相』などを書くに至るのである。すなわち、江戸以来の大衆文学とは異なる外国文学の影響を受けた大衆文化の発生である。 筆者は、本研究助成金を受領しての間に「写本から刊本へ――唐代通行『尚書』の研究――――」によって論文博士の授与を受けた。このなかでも論じたように、当時、敦煌から出土した文献がヨーロッパや日本に送られ、ようやく文献学的な研究が行われるようになるのである。
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