現存するモンゴル語仏典は清朝時代の製作物であるが、その原テキストの成立は400年を遡る元朝時代でありその言語は中期モンゴル語である。17世紀以降の近代モンゴル語とは異なり、中期モンゴル語は資料に乏しくその実態については不明な点が少なくないが、仏典はその空隙を埋める好個の資料であることが、研究代表者等の研究によって明らかになりつつある。そこにはモンゴル仏教の汎ユーラシア的性格と元朝社会の多民族・多言語状況が反映され、ウイグル語・チベット語・漢語等の周辺諸言語との接触の痕跡が豊富に保存されている。接触の結果誕生した仏典モンゴル語は『元朝秘史』等に見られる世俗的言語とは趣を異にした文章語となったが、それが17世紀以降のチベット仏教め弘通とあいまって、現代文語の性格の一半を形成している。本研究は、研究代表者の年来の研究蓄積に立脚し、かつ、最新の各種の知見を取り入れながら、中期語時代における言語接触の実相を解明し、それがモンゴル語の構造にいかなる変化を及ぼしたかを明らかにすることを目的とするものである。当該年度においては、米国及びモンゴル国において開催された国際会議で成果の一端を公開し、同学の士の批判を仰いだ。その後、適宜修正したものを学会誌に投稿し、査読を経て採択されている。本研究は文献上に例証される言語接触が文章語形成に大きく関与したことを明らかにするものであるが、それが元朝時代の多民族混住・多言語並立状況の反映であることを考慮すると、言語接触にかかる社会言語学的見地からも有意義と見なし得る。同時に、それは文献史、仏教史等にも貢献可能な知見を提供する可能性が大きい。また、学術講演等でもその成果は公にされた。特に、借用語のあり方については、近現代の日本語のあり様と通じるものがあることが高く評価され、学内における研究経費の交付にも結実している。
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