現存するモンゴル語仏典の多くは、中期モンゴル語時代に作成されたものである。そこには、元朝時代のモンゴル語である中期モンゴル語が経験したウイグル語、チベット語等の周辺諸言語との接触の痕跡が随所に反映されている。特に、本研究課題においては、従前、あまり研究の手が及んでいなかったモンゴル語訳『法華経』の行文を精査に分析する作業を通じて得られた知見、また、研究代表者がかつて手がけた『宝徳蔵般若経』や『宝網経』、『牛首山授記経』等に対する新たな視点からの分析作業を通じて得られた知見等に基づき、そこに残された証拠から中期モンゴル語時代における言語接触の具体的実相とそれがモンゴル語にもたらした変容、さらに、それらがあいまって形成した文章語としてのモンゴル語の構造の特徴等を明らかにした。そこでは、現代日本語のありようにも通じる異言語との接触とその摂取の過程がつぶさに見てとれるのである。この作業は、上記の仏典の行文のテキスト批判と表裏一体であるが、その作業を進めることにより、とりわけ『法華経』のモンゴル語訳の成立過程に関して、新たな知見が得られたこと、また、トルファン出土仏典写本断片中のモンゴル語訳『法華経』の断片の読みにかかる従来の所説を改め、新たな読みが与えられるべきであることも明らかにできたことも、本研究の実績として数えることができる。研究代表者は、さらに『法華経』について精読を進め、校訂テキストの確立を企図するとともに、その他の、未着手の仏典についても、本研究等の遂行で蓄積された手法により分析を進める所存である。
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