平成22年度は、主として国語調査委員会を中心とした国家語政策の確立と展開に焦点を当てて歴史的検証を行うとともに、併せてその後に登場する方言を排除しない柔軟な国語観の構築に関する見通しを立てる作業に着手した。具体的には、1.上田万年の陰にあってあまり知られていない大槻文彦の国語(標準語)観を、当時の大槻の講演資料の掘り起こし、大槻とともに標準語制定に携わった新村出等の言語学者との対比等を通して浮き彫りにすることができた。2.上田の姿勢を継承する保科孝一の国語観の淵源について、欧州留学によって知りえたオーストリア・ハンガリー帝国の言語政策の失敗に求められる可能性を、東京文理科大学紀要に報告された「国家語の問題について」等の掘り起こしを通して確認した。3.大正期・昭和期の地方教育現場において、トップダウンの標準語政策が進められる一方で乱柔軟に地域方言を包摂した国語純化論的傾向が顕著になっていくことを、保科編集になる教育雑誌『国語教育』及び北東北の地方教育史料を通して確認した。4)上記の純化傾向の中心的位置にフィンランド等の欧州における国語純化運動の影響を受けたと思われる柳田国男の存在があり、『民間伝承』及び『方言』等の雑誌に反映した柳田による記事の経時的分析、成城大学民俗学研究所所蔵の柳田旧蔵本の書き込みを分析すること等を通して、柳田の国語観を歴史的に明確化する可能性を確認した。6.上記の日本における国語観の対立と変遷に関する研究は、近年急速に進展しつつあるE.Haugenらによる言語政策・言語計画論研究やG.Thomasにより提唱された国語純化論研究のモデルに照らして、近代国民国家における国語の管理という普遍的観点から早急に再整理される必要性があることを確認した。
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