まず日本語の副助詞を参考して景頗語の限定の「副助詞」を確定し,その記述を試みた。具体的には、sha、chyu、hkraiという限定を表す三つの副助詞の意味をそれぞれ記述したうえで、限定表現全体の体系を、「<1>個体を限定する。「だけ」「しか…ない」「ばかり」の一部の意味に対応する。<2>類を限定する。「ばかり」の一部の意味に対応する。<3>程度が低いことや数量的に少ないことを表す。日本語の副助詞にこれに完全に対応する意味・用法はない。<4>時間が近い過去であることを表す。日本語の副助詞にこれに完全に対応する意味・用法はない。」のように、整理した。<3>と<4>については、意味拡張の方向が日本語と違うことが原因であろうが、そもそも意味拡張の方向を何が決めているのかについては、今のところ何とも言えない。 それから、景頗語の「格助詞・副助詞・係助詞」の体系について考えてみた。まず景頗語には、古代日本語にあったような本格的な係助詞がなく、「は」や「も」に相当する「go」や「mung」のようなマーカーしか存在しないことを改めて確認できた。また、格助詞と副助詞は日本語ほど多くなく、接続関係においては、日本語の「には」や「にも」のように、格助詞プラス係助詞といったパターンは見られるが、「東京にばかりは行きたくない」のように、格助詞の「に」に、副助詞の「ばかり」に、係助詞の「は」が重なるという格助詞・副助詞・係助詞の三重パターンは、話し言葉にだけではなくて、祝詞のような資料類にも発見されることはなかった。したがって、三者がこぞって使われることは、書き言葉の歴史が長い言語でなければあまり発達しないのではないかというのが、このことに関する現時点での仮説であり、これを検証するのが今後の課題である。
|