戦後期において、海外に対する「日本語の普及」という営みが国家的な施策として法的に認知されたのは、1972年に制定された「国際交流基金法」(1972年法律第137号)の中で、「日本語の普及」(同法第23条)という表現が用いられた時からである。しかし、戦後期の日本はすでに1950年代から、海外で日本語教育を実施、あるいは海外の日本語教育と関わっていた。換言すれば、1950年代から1960年代にかけての時期は、戦後期における「日本語の普及」事業の前段階あるいは黎明期と位置づけることができる。 しかし、その1950~1960年代に、日本がどのような政策的枠組の下に、海外で日本語教育を実施していたのか、あるいは海外の日本語教育と関わっていたのかという点については、研究がほとんどなされていない。おそらく、その主な理由は、一次資料が欠如あるいは散逸していることにあるのではないかと思われる。 その記録の欠如や散逸を補う目的から、本研究においては、関連資料の掘り起こしと当時の関係者に対するインタビュー調査を行い、それを記録として残すことによって、「日本語の普及」の前段階あるいは黎明期に関する政策研究のための基礎資料を整備することを目的としている。 研究初年度の平成22年度は、1950~1960年代の状況に関して、その概要をまとめるとともに、それを『戦後期における「日本語の普及」事業の前段階の状況に関する研究:基礎編』という冊子に収録した。
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