(1)本来、ドミナントな白人集団であったはずのアングロ・ケルト系オーストラリア人が、当時、周辺的集団であったはずの日本人をあたかもドミナントな集団として取り扱い、彼ら自身を意図的に周辺的集団と位置づけることで、白豪主義政策の実体化の正当性を主張できたのみならず、さらには軍備増強の正当性さえも主張できたことが文献や学術論文等の最最新の研究成果や収集した史料・資料により、一定程度明らかになった。 (2)そして、このような主張が繰り返された背景にはオーストラリア連邦首相を3度も務めた政治家ディーキンの影響が大きかったことも収集した文献や一次史料等からも一定程度明らかになった。
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