本研究は、日韓女性の交流・相互認識の歴史を1960年代後半から70年代までを中心に分析するものである。特に、新しい相互認識やアジア認識を打ち出し、それに基づい日韓交流や女性運動を行った女性たちの思想や行動を明らかにする。 日韓女性の交流・相互認識の歴史は、戦前(植民地期)、解放後・戦後への転換・断絶期(日本の敗戦から1965年韓日条約まで)、新たな関係・認識の模索期(60年代後半から70年代)、女性学的知または経験の交流期(80年代)、「旧日本軍慰安婦問題」解決のための連帯期(90年代以降)として時期区分できる。今回の研究は、戦前から戦後へと、その意識の転換期にあたる70年代の研究として、60年代後半から70年代前半にかけて日本女性が新しく主張したアジア認識について、特に今まであまり注目されなかったウーマン・リブにおける、日本女性のアジア女性に対する「加害者意識」について、その内容のみならず、その衰退にまで詳しく分析した。 研究成果は、①70年代前半、日本の新しい女性運動として登場した、ウーマン・リブの「加害者意識」について詳しく分析した。「被害者意識」からの決別、アジア女性に対する日本女性の「加害性」の認識、両者の抑圧の連関性に対する認識の三点に分けて考察した。②1980年代後半、日本の主流の女性運動が大きな転換期を迎える中で、ウーマン・リブの「加害者意識」が、いかに継承、あるいは失われたのかを分析した。特に、1975年に開かれた国際婦人年世界会議における、先進国女性運動に対する第三世界女性の批判について、日本女性参加者がどのように反応したかを分析し、70年代後半における日本女性の「加害者意識」・「アジア認識」のあり方を分析した。そして70年代後半における日本の主流の女性運動のなかで、ウーマン・リブの考え方がいかに衰退したかを分析した。
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