近世初頭から幕末に至るまでの日朝外交文書について、旧来、それを専門的に管轄してきたと考えられてきた以酊庵輪番僧の活動実態、およびそれとの連動が推測されながらも具体的な中身について分析検討が進んでいなかった東向寺輪番僧、この両者についての具体的な分析を進めた。 その際に、近世の全期間にわたる分析は、対象とする史料が膨大なために困難であり、今年度については18世紀後半に以酊庵輪番僧として引き続いて対馬で外交文書作成にあたった三人(湛堂令椿・高峰東晙・梅荘顕常)の事跡について集中的に検討を行った。また、植民地時代に朝鮮史編修会によって収集された東福寺史料『以酊庵雑記』をすべて複写採録することにより、上記三代の輪番僧を含め、18世紀における以酊庵輪番層の事跡を、先行研究とは異なる視角から分析できるだけの準備を整えた。 また、東向寺輪番僧の活動実態については、いまだ個別分析にまでは及び得なかったものの、東向寺輪番制が以酊庵輪番制と密接に連動しているところまでは突き止めた。以酊庵輪番僧と東向寺輪番僧が取扱い得た日朝外交文書には聊かの範囲のズレが認められそうだから、それらを具体的に追究しつつ、さらに日朝外交文書成立過程を検討することが課題として残されたと考える。 さらには、対馬藩政機構としての朝鮮方や真文役等々と以酊庵輪番制・東向寺輪番制との職掌範囲の見極め等についても今後の課題として残された。
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