今年度は本研究の初年度であるため、貴族や武家の出家資料の収集にあたった。また、比較的資料の豊富な人物については、当初の予定通り具体的な分析を進め、出家後の禁忌に変化がみられるかどうかを検討した。 1 性的禁忌については出家入道の前と後とで違いが見られず、ほとんど遵守されていないことがわかった。 (1) 宇多法皇・花山法皇はともに出家後に数人の子どもをもうけた。ただし、この段階では出家後の子は体裁が悪いということで、その子たちは他の天皇の子どもとされた。 (2) 院政時代になると、出家後の子ども誕生への憚りの意識が消滅する。.そして白河法皇・鳥羽法皇・後白河法皇、また亀山法皇も出家後に子どもをもうけており、隠すこともしていない。 (3) 北条貞時や足利義満も出家後に数人の子をもうけており、この点では武家でも違いがないことがわかる。 2 肉食禁忌については白河院の例が注目される。彼は晩年に殺生禁断を命じて贄の調進を中止させ、食事も精進が恒常化したという。だがこの肉食禁忌は出家して20年~30年後の話であり、出家による肉食禁忌とは言えない。 3 足利義満の出家入道の場合、家臣の武家や公家に強権的に同心出家を強要している。出家入道が忠誠心の表象として登場するのは何時からなのか、今後の検討課題にしたい。 以上の研究成果については、『歴史のなかに見る親鸞』第2章、第8章で取りあげて論じた。朝日新聞夕刊の連載コラム「時代を生きる-法然・親鸞と今」平成22年12月27日号でも「『出家入道』社会の中核に」として触れた。
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