研究課題/領域番号 |
22520666
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研究機関 | 大阪大学 |
研究代表者 |
平 雅行 大阪大学, 文学研究科, 教授 (10171399)
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研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 出家入道 / 遁世 / 浄土教 / 神仏習合 / 法皇 / 九条道家 / 三善善信 / 足利義満 |
研究概要 |
今年度は、これまでの研究蓄積をもとに、論文「出家入道と中世社会」(400字詰め換算、142枚)を発表した。そこで明らかにした主な成果は、以下の通りである。 (1)「出家」「入道」「遁世」はもともと同じ意味だったが、出家後も家督を保持するという新たな事態が出現したため、中世ではその語義が分離するようになる。中世の天皇・摂関、将軍・執権が在任のまま出家することはなく、地位を辞した後に出家している。そのため、天皇と法皇、摂関と大殿、執権と得宗のように、中世では制度上の権力者と本当の権力者が乖離する構造的な特徴をもつようになる。なお、聖俗不二を説く本覚思想が中世で流布した背景には、世俗と出家の中間形態である出家入道の広汎な存在があった。 (2)貴族社会では、(a)出家入道が関東申次、知行国主、本家・領家、家司、目代・在国司として活動していた。(b)地方では、出家入道が預所・下司・公文・郡司・郷司・図師・田所・案主・弁済使・惣追捕使などに補任されている。(c)出家入道(法皇)が神社政策を主導するようになったことが、神仏習合を一層深化させることになった。 (3)幕府では、(a)鎌倉時代には出家入道の執権・連署・探題がいなかったが、室町幕府では足利義満が出家入道の管領を誕生させ、それ以後、出家入道の管領が常態化した。(b)鎌倉幕府の出家入道は評定衆・引付衆や東使・奉行人に登用された。(c)出家入道の守護・地頭も数多く、彼らは軍役をはじめとする御家人役を負担していた。 (4)民衆の世界では、(a)名主・沙汰人・番頭・作人や医師・梶取・大工に出家入道がいたほか、奴婢下人や被差別民の世界にも出家入道が及んでいる。(b)出家入道の百姓は年貢を免除されなかったが、家督を譲って遁世した百姓は役負担を免除された。この点で出家入道の百姓は、古代の私度僧とはまったく異質の存在である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当然のことながら、予想以上の成果をあげた領域〔1~3〕と、そうでない部分〔4〕とがあるが、全体的には非常に大きな手応えを感じている。詳細は以下の通りである。 (1)中世になると、「出家」「遁世」の語義が分離することは知られていたが、今回の研究によって、中世を通じて「出家」「入道」「遁世」を同じ意味で使用する例も多いことが判明した。先行研究の議論が混乱していた原因がここにあり、学術用語として「出家入道」「遁世」概念を再定義した上で議論を進めることが必要なことが分かった。 (2)幕府と出家入道について。(a)鎌倉幕府の探題に出家入道がいなかったことを確認した。幕府の役職で出家入道の就任・在任が認められなかったのは将軍・執権・連署と探題だけであるため、認可の有無によって御家人が就く幕府諸職と、探題職等との差別化を図ったと推測することができる。(b)室町幕府では初期の管領は出家入道が認められなかったが、足利義満の意向で出家入道の管領が誕生したことが判明した。このことは、朝廷・幕府の役職に出家入道が就任するようになった歴史過程の検討が必要であることを示唆している。 (3)民衆と出家入道について。(a)村落における出家入道の風習が院政時代にまでさかのぼること、また出家入道の風習が奴婢下人や被差別民にまで及んでいたことが新たに判明した。出家入道の風習は予想以上に年代的にさかのぼること、また想像を超える広がりをもっていたことが判明し、浄土教や出家入道が中世社会に刻印した影響の深さと広さを改めて確認することができた。また、(b)僧形の百姓は御家人と同様に、出家入道と遁世で、役負担に違いがあることが分かった。 (4)昨年の報告書でも述べたように、出家入道が遵守した禁忌については、史料的制約により実態解明ができなかった。法皇主導による神仏習合は賀茂社と伊勢神宮で確認できたが、さらなる検討が必要である。
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今後の研究の推進方策 |
来年度は本研究課題の最終年度となる。これまでに出家入道に関する基礎的な資料収集を終え、基本的な実態分析もほぼ終えたが、その作業の中で新たに浮上した課題も多い。具体的には以下の4項目である。これらはいずれも、たやすい課題ではないが、中世史の諸研究の成果を参看しながら、できるだけの検討を行って総合的な考察を深めたい。 (1)出家入道の歴史的広がりを考察するには、それぞれの役職について、出家入道の登場時期を、より子細に調査することが必要である。そこで、知行国主や本家・領家、目代・在庁官人、預所・下司・公文等について、出家入道の登場過程を明らかにしたい。また、朝廷や幕府の役職の中には、出家入道の就任が認められたものと、認められなかったものとがある(たとえば知行国主は出家入道の就任が認められたが、国司は認められなかった)。そうした事例を集積して、その違いが何に由来するのか、検討したい。 (2)村落史の成果によれば、村の出家入道は南北朝時代に急増するが、16世紀に激減するという。出家入道は幕藩体制の成立によって終焉するのではなく、戦国期の村落でその終焉が始まっている。出家入道の風習がなぜ終焉を迎えるのか、村落史の研究を参照しながら、その原因を考察する。 (3)賀茂社と伊勢神宮を素材に法皇主導による神仏習合の推進を確認することができたが、伊勢神宮の場合はデータが断片的であるため、まだ論証が十分でない。法皇主導による神仏習合の進展を示す事例が他にないか、神社史の研究を参照しながら検討を行いたい。 (4)女性の出家入道は史料的制約が大きい上、男性とは異なる特殊な要因が加わるため、問題が複雑でその検討は容易でない。当初の予定通り、女性の出家入道については、これまで集積した事例をもとに、概括的な見通しを得るにとどめる。
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