浄土信仰が盛んになると、世俗の人々も出家するようになった。当初は出家した人々は世俗活動を止めたが、中世になると、出家後も家督を維持して世俗活動を継続するようになった。これは世界史的にみても、日本中世だけにみられる独特の風習である。 この風習は法皇から始まった。白河・鳥羽法皇は出家後も政治権力を放棄しなかった。やがてその風習は、貴族社会から武家社会、さらに民衆の世界へと広がっていった。多くの御家人は、出家後も守護・地頭の地位を維持している。また村落の指導者の多くは僧侶の姿で村を運営していた。ただし、武士は出家後も幕府の命令に従って、戦争や警備に従事したし、出家した百姓も年貢を負担した。
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