萩藩の労働社会について、①藩に雇用された足軽・中間などの奉公人の実態、②城下町における仲仕・上荷舩の実態、③開作地における石工労働、の3点について、収集した史料の分析を進めた。このうち①については、森下 徹『武士という身分』(吉川弘文館、2012年)のなかに成果として発表している。足軽や中間が役の代替者として藩に抱えこまれ、そのなかでの地位にこだわりを示してはいたが、所有や熟練からは無縁であったために、身分社会のなかでは異端的な行動をとるしかなかったことをのべた。 ②については、浜崎地区における仲仕・上荷舩の存在形態を明らかにした。一面では頻繁な移動がみられるものの、なかには同族的なまとまりをなして、都市社会のなかに定置を果たしているものがみられること、また城下最大の祭礼住吉神社祭礼において、神輿を担ぐという中核的な役割を担っていたことなどを明らかにした。 ③については、国立歴史民俗博物館共同研究において、「近世瀬戸内地域の新田開発と石工」の報告を行っている(2012年7月)。石工労働の特質として、個々人の作業自体は石を運んで積み上げるという単純なものではあるが、相互の連携や協同が不可欠であり、そのために石工はリーダーのもと集団をなして存在していたことをあきらかにしら。 また岡山藩領についての史料収集も進め、分析作業を行った。さらにこれまで収集してきた広島県立文書館の尾道関係史料、大坂の仲仕史料についても分析をした。
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