論文「平安時代中期の地方軍制」は、これまでの地方軍制研究が軍制の担い手である兵士の性質や組織形態など、もっぱら人的側面を中心に考察がなされてきたのに対し、財政史の観点から、具体的には軍制を物質面から支えた武器・食料に焦点をあて、国衙におけるそれらの存在状況の検討を通じて当時の地方軍制について考えてみたものである。 9世紀-10世紀前半の地方軍制は健児と臨時の兵力からなり、諸国では武器や食料が生産・貯積されていて、兵乱時にはそれらが動員された兵士に支給されていた。したがって、豪族の私的武力に頼る必要はほとんどなかった。しかし、国衙の武器や食料はその後次第に減少し、11世紀になるとほとんど失われてしまう。こうした結果、地方軍制のあり方も、受領の私的従者と「国ノ兵共」が国衙機構に組織されて日常的な国衙の警備や国内の治安維持にあたる一方で、大規模な軍事動員が必要な時には地方豪族の私的武力が利用されるという形態に変化するのである。 論文「押領使・追捕使関係資料の一考察」は、押領使・追捕使に関する二つの史料、すなわち『朝野群載』巻22所収天暦6年越前国司解と『権記』長保5年4月23日条に考察を加え、前者の押領使・追捕使は越前国のそれではなく中央から派遣されるものであり、後者の押領使は武蔵国押領使ではなく越後国が停止を求めた押領使であるという新たな解釈を行い、平安時代中期の地方軍制の中心であった押領使・追捕使の存在形態の一側面を明らかにした。
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