本研究は、日本古代における中国「書儀」の受容と展開について、具体的な様相を明らかにし、日本中世以降に盛行する「往来物」「書札礼」の成立についての見通しを立てることを目的とする。具体的な研究手法としては、まず敦煌文献や法帖として残る「吉凶書儀」「朋友書儀」や「月儀帖」を分析し、それを受容した日本古代の書儀文化の実態を考察する。次いで、「往来物」とくに「古往来」と、「書札礼」について調査し、中国の書儀が日本の往来物・書札礼の成立にどのように関わったかを明らかにする。 平成24年度には、「索靖月儀帖」断簡について、ロシア科学アカデミー東洋写本研究所(IOM)での調査に基づく研究成果を論文として発表した。索靖月儀帖は、もっとも早い時期に成立した月儀であり、かつIOM所蔵のものは、断簡とはいえ、法帖(拓本)ではなく、墨書として残ったものである。閲覧調査によって、これが双鉤填墨の技法によって作成された精巧な法書であり、8世紀のものであること、敦煌文献であることが確認された。この点を踏まえ、中国の研究者から指摘を受けた旧稿の不備も、再版に際して改訂することができた。 東大寺に献納された「王羲之書法廿巻」や「大小王真蹟」は、「索靖月儀帖」と同じく、双鉤填墨の技法によって、8世紀唐で作成されたものであったと考えられる。唐代の双鉤填墨による書法・書儀を遣唐使が将来し、それを受容して日本古代の書儀が成立したのである。 往来物につながる月儀は、日本古代において、書状の模範例文であると同時に書の手本として、唐からもたらされたものであることが明らかになったといえる。日本中世・近世における往来物が、初学者の教科書であるのも、その本来のありかたを継承しているといってよいであろう。 なお往来物についての分析や、書札礼に関する考察が計画通りには進まなかった。今後の課題としたい。
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