本年度は、中世山口文化の形成に大きな影響を有した、中世日本最大の国際貿易港である博多と周防大内氏との具体的な関わりについて、とくに文化の面に注目しつつ考察をおこなった。大内氏についていうと、博多支配以前と以後とでは所有する唐物の質に差があった。さらに、大内氏権力の質的転換点ともいえる15世紀中葉に注目しつつ、大内氏の外交活動のあり方について考察した。当該期の大内氏の外交活動は、中世山口文化の形成にも少なからず影響を与えていた。なお、中世博多で大内氏の外交や文化において大きな存在感を示していた聖福寺の幻住派について、とくに詳細な考察を加えた。ここにみる研究成果は、2013年4月から福岡市博物館で開催される特別展「日本最初の禅寺 博多聖福寺展」の図録の一部に反映されている。 また、中世山口文化の重要な構成要素であった禅宗について、とくに中世後期の日本禅林のあり方から考察した。とくに注目すべきは、15世紀後半以降の日本禅林のなかでは、憧憬の存在でった中国にみずからを仮託するような行動をとった禅僧がいたことをあきらかにした。彼らは、みずからの故国である日本のことを「倭国」とよんだり、日本酒のことを「倭酒」とよんだりした。また、中国社会の頂点に立つ皇帝と実際には接見していなかったにもかかわらず、あたかも面会して詩文のやりとりをしたかのような詩文集を残していた。こうした禅僧の姿は、中世山口文化にも少なからず影響を与えていたと推測される。
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