研究課題/領域番号 |
22520692
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研究機関 | 敬和学園大学 |
研究代表者 |
藤野 豊 敬和学園大学, 人文学部, 教授 (70308568)
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研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2015-03-31
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キーワード | 日本史 |
研究概要 |
前年度に引き続き「小笠原登日記」の1941年~1942年分の解読を進め、その分析をおこなった。結論は以下のとおりである。 小笠原登は癩予防法に医学的な誤りを認めつつ、遵法の立場から法律の範囲内でハンセン病患者の生活と人権を守ろうとした。換言すれば、小笠原の医療もまた、癩予防法の内にあったということになる。小笠原が強く反対したのは、治療をおろそかにして隔離のみを実施する国立療養所の医師たちの姿勢であった。小笠原は、隔離政策そのものに反対したのではなく、ハンセン病の感染力の実態や個々の患者の症状の相違を無視して、すべての患者とその家族の生活と人生を奪う絶対隔離という政策を厳しく批判したのである。これまでの研究では、小笠原の医療実践はあえて法律に違反しても患者の人権を守ったという評価であったが、今回の日記の分析により小笠原の実践は法の枠内にあったことを実証できたことは大きな成果である。今後は、こうした新たな評価の上に、研究を進めていくことができる。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
1: 当初の計画以上に進展している
理由
当初、予定していた「小笠原登日記」の解読は、全体の60%を達成できているので、これは予定どおりである。また、関連する書簡類の解読はほぼ終了している。さらに、結論も当初、予定したとおりであるので、大きな修正をすることもなく研究を進めることができた。
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今後の研究の推進方策 |
圓周寺所蔵の「小笠原登関係文書」のうち、1943年以降の日記の解読を進め、小笠原が主任を務めた京都帝国大学医学部附属医院皮膚科特別研究室におけるハンセン病患者への治療の実態、及び患者への処遇の実態の解明を進める。特に、無癩県運動に対する小笠原の対応にも注目していきたい。こうしたことにより、国策として実施されたハンセン病患者への絶対隔離政策と小笠原の医療実践との異同を具体的に分析する。
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