平成22・23年度の活動成果と24年度目的をふまえ、古代日本と中国延辺州の図們江流域を中心とする渤海早期王城との交流ならびに歴史的環境に焦点をあてた。主要な渤海王城は上京龍泉府(黒龍江省寧安市渤海鎮)であるが、日本・渤海を結ぶ交流回廊のうち「渤海路」「日本道」の通じる吉林省延辺州地域に早期王城として中京顕徳府(和龍市)・東京龍原府(琿春市)が位置し、その遺址・周辺地勢は日本と渤海の交渉を理解する上で重要な意義をもつ。そこは渤海時代の古城・古墓群・聚落が遺存し、日本・渤海・唐を結ぶ「北回り遣唐使ルート」としての役割を担った。近年、『渤海上京城』『西古城』『六頂山渤海墓葬』等の基本文献が発刊され、渤海遺産・資源価値の再評価を行う環境が整いつつある。本年度の主要な対象とした延辺地区の王城(中京・東京城)・王族墓は、中国東北部の図們江流域に分布し渤海建国段階の「旧国」の中枢に位置する点や、同河川の水路と河川沿いの道路が琿春市の東方河口で日本海に連接する様態を把握した。このルートこそ『新唐書』渤海伝の「龍原東南瀕海、日本道也。南海新羅道也…」中の「日本道」であり、また日本から渤海へ往く際の「渤海路」に相当する。文献調査の面では2012年8月に協力研究員王禹浪教授らと検討会(ハルビン市)を開き、「渤海早期王城遺跡」として整備中の西古城・龍頭山古墓群(和龍市)と八連城(琿春市)に関する考古資料の選択作業を進めた。藤井の報告資料「古代日本と渤海国王〈大欽茂〉」と王教授「図們江流域的歴史与文化」(中文)の執筆を通じて、8世紀後半における大欽茂の対日交渉は、第4・6・8・9・10回遣日使など越前・加賀・能登地域に集中している点に留意し、延辺地区の渤海王城と平城京を結ぶ交流回廊が北陸道を経由し定着・展開してゆく実態と特性を把握するに至った。
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