持明院家が鷹道を相伝する「鷹の家」とされてきた根拠は、13世紀末に持明院基盛が著した鷹書として知られてきた『基盛朝臣鷹狩記』である。しかし、諸本の調査、内容の考証の結果、同書は本来、西園寺家の鷹書であったこと、著者は西園寺実兼であったと考えられることが判明した。 持明院家が「鷹の家」と化したのは、16世紀の持明院基春以降のことであったと考えられる。持明院家文書を分析した結果、基春は美濃に下向した際、和歌の書様と鷹道を伝授して誓詞を受け取っていたことがあきらかになった。基春は、それ以前から貴族社会で行われていた歌道伝授の影響をうけて、書や鷹の秘説を伝授して誓詞をとることを始めたと考えられる。
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