本年度は研究の最終年度であるため、本来ならば清朝初期の蒙古例集成法典各条文の比較検討作業を終える予定であったが、平成23-25年度に学内行政上の想定外の緊急業務が大量に入ってしまったことと、「オドセルとナワーンの事件」に関する喫緊の新史料を自ら発見したこととの二つの理由で、やむを得ず蒙古例研究の計画を一時的に縮小せざるを得なくなり、数年後の再開時に向けて基礎的な作業のみを完了しておくことになっていた。想定外の出来事が発生したとはいえ、研究計画を途中で縮小・変更せざるを得なくなったことに関しては、まことに遺憾に思う。数年後の蒙古例研究再開時には、スムーズに再着手出来るよう、計画をより慎重に練っておきたいと考えている。 以上のような事情により、清朝初期の蒙古例法典の内、康煕6年法典に続いて、康煕36年法典のロシア語訳(ディリコフ氏が訳したもの)とドイツ語訳(ホイシェルト氏が訳したもの)とを比較検討しつつモンゴル文原文を訳していくという作業の最初の段階に入り、何とかその研究手法を確立することだけは出来た。また、ディリコフ氏の書籍の研究部分を読んでいって、蒙古例に対する氏の基本的な考え方を理解することが出来た。いずれも蒙古例研究の再開時には、すぐに役立つと思われる基礎部分の準備作業である。また、法制史学会からの依頼を受けて、日本国内で徐々に研究が進み始めた清代内モンゴルの裁判制度に関する研究の書評を2点執筆し、さらに、モンゴル法制史全体の研究動向をも執筆中である。いずれの作業も、裁判制度研究はもちろんのこと、今後の蒙古例研究にも直結する基礎的な準備作業となるので、研究計画に一区切りをつけるのにちょうど良い原稿となるはずである。
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