多民族・多文化を特徴とする珠江デルタ流域は16世紀を分岐点として科挙官僚制を軸とする儒教システムによって統合される一元的な文化構造へと変質していった(儒教化)。本研究は、この儒教化のプロセスにおいて海外貿易の窓口、広東の行政首都であった広東省城及び周縁の州県城(とくに羅定城)がいかなる文化的役割を果たしたのかを探求することを目的とする。具体的には、民族反乱の状況を考察したうえで、儒教化がどのように進捗したかを解析すること、広州省城や州県城の空間構造と機能を押さえつつ、儒教化のなかで果たしたその文化的役割を検証することである。 本年度は次のような作業を進めた。(1)本研究を実施するに際して組織した中国都市史料講読会を継続し、清・李士楨撰『撫粤政略』のうち、広東省城に対する清朝の政策、広州省城と周辺地域との関係に関連する史料を講読し、清朝の都市政策を検討した。(2)人民大学国学院・ミネソタ大学歴史系共催、頭脳循環プロジェクト主催、上海大学主催、のそれぞれの都市史シンポジウムで報告し、商業流通と課税の仕組みを焦点にして広東の経済構造を検討するとともに、東アジアのなかでの中国都市の特色(空間構造、文化的特色など)を、日本、ヨーロッパの都市との比較を意識して、概括した。(3)広東省城に関する研究成果を踏まえながら、周縁の都市の役割を明らかにするために、民族反乱の鎮圧後に創設された羅定州とその管轄下の東安・西寧両県を取り上げて、明朝が州城と県城を拠点として、行政、軍事、監察の三つの系統から構成される領域管理の体制を作り上げ、儒教化の拠点としたことを検証した。(4)最終年度であることから、研究期間の間に積み重ねた研究成果をとりまとめて報告書を刊行し、省城、周縁の州県城の儒教化の拠点としての性格を解明するという研究目的を裏付ける検討結果が得られたことを提示した。
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