研究概要 |
まず,大英図書館で,1850年代後半の行政報告書に散見される南部デルタや東部山地の村落支配に関する文書を閲覧し,とくに1856年から58年にかけて当該地域で発生した「カレンの反乱」の内容を明らかにすることにより,近代的民族意識はいまだ創生されているとは見做しがたく,「カレン」は単に同じ言葉を話す人々を総称する際に使われた他称を、自らの敵を明確にするため、首謀者によって使用されたものにすぎないことを指摘した。 次に,ミャンマー国中央部で,王国体制下のコミュニティ支配に関する史料,とりわけ騎馬隊アフダーンや異人(「異民族」)に関する史料の収集を行なった。王国時代,騎馬隊が居住したモンユワ周辺の村落やミンジャン地域のタロッミョウやカンナー村などを訪れ,立地や異人に関する痕跡の調査を行なった。そしてパカンヂーでは,18世紀ニャウンヤン期の窟院に描かれた壁画に見られる異人の出で立ちを調査し,「101人種」に関する異人種像を撮影した。この解析により騎馬隊の「民族」構成と,異人が当時の社会に有した意味がかなり明らかになるはずである。この壁画像は,当時の「民族」観を探るうえでも,重要な発見であることは間違いない。 加えて愛知大学にて,中国史および日本史の研究者を招いて,第4回「前近代社会へのまなざし研究会」を開催し,ミャンマー以外の近世村落との比較を行ない,やはり前近代国家における村落の支配様式は,文化を中心とするものではなかったことを確認した。さらに第5回の同研究会では,ミャンマー研究者を招請し,ミャンマーにおける民族概念の創生について検討を行ない,その時期は19世紀末期ごろからという合意を得た。 その他,前年度からの課題であったアフムダーン・データベースを一応完成させ,ビルマ地図のデータベース化,愛知大学所蔵の,ミャンマーの大学に提出された修士・博士論文のデータベース化を進めた。
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今後の研究の推進方策 |
今後のポイントは,かつてE.ゲルナーが指摘したように,王国時代のコミュニティ(村落)は,生活様式,生業形態,言語,儀礼,慣行などがメンバー間で一致せず,彼らが政治的,経済的に生き残れるかは,このような多義性を巧妙に操作し,状況に応じて,アフムダーンであるかアティーであるか,もしくは村民であるかというアイデンティティの中で生きていることを証明することである。その際,前近代社会にあっては,政治と文化は,切り離して考えるということを忘れないようにしたい。
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