研究概要 |
ミャンマー国ヤンゴン市,マンダレー市,メイッティーラー市,パコックー市の現地調査を2回行い,王国時代における王務員(アフムダーン)と「異民族」に関する史料の収集,とりわけエーヤーワディー川流域にそってパコックー県やザガイン県に現存するニャウンヤン王国時代後半およびコンバウン王国時代前半期の窟院壁画のなかに見られる「異民族」の画像を調査した。 以上の史料を精査した結果,王室側が,「異民族」を兵士や宮廷警備隊として積極的に取り込んでいたこと,一集落内にアティー(平民)とアフムダーンが,また別々のアフムダーンが同居しており,こうしたコミュニティが畿内のみならず,王国内に偏在していたことが明らかとなった。 その結果,アティーとアフムダーンは別系統の機構によって支配されていたので,村落の中で住民相互の利害が一致せず,日常生活は同一サイクルで展開されていたが,集落全体が一致して何かに当たるということはほとんどなく,村の縛りなどは存在しなかったという結論が導きだされた。 集落に住む人びとの心理的凝集性,すなわち村という社会単位への帰属意識も二次的であった。従ってこうしたコミュニティの中で「民族」は,いつでも変更できる属性としての意味しか有していなかったと考えられる。 また副次的に,大英図書館に所蔵されているGovernment of India, Foreign Department のPolitical Proceedings中に散在する「マンダレー日記」の1864年4月13日から1867年4月6日までを収集・校訂し,資料としてPDFで公開できるようにした。さらに,主として植民地時代に作成された5万分の1地図をデジタル化し,これをPC上で容易に検索でき,かつ画面上で拡大縮小できるようシステムを構築し,内外のミャンマー史研究者に配布した。
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