平成24年度は、8月に3度目となるオランダでの資料収集を行った。ライデンの王立地理言語民族学研究所では、昨年度に続いてIPO(原住民マレー語/中国語紙概観)をチェックし、1930年代に関する作業を終えた。また、IPOから得た情報で、数点の雑誌・新聞を見た。そのうち必要なものについては複写した。また、ハーグでは、エルサレムでの世界ムスリム会議(1931年)関係の資料を収集した。 国内では、収集した資料の整理、特に雑誌・新聞の記事を1930年代にムスリムが関心を寄せた問題「女性(イスラーム教義、婚姻法、健康、教育)」「キリスト教使節の活動」「植民地議会設置」「パレスチナ問題」「日中戦争」などの項目を中心に分類する作業を始め、中心となる雑誌のひとつ、北スマトラのメダンで発行された『Pedoman Masjarakat(人々の指針)』については、概要をまとめた。あと同じく重要資料となる『Adil(公正)』(中部ジャワのソロで発行)に関しては、作業は着手したばかりの状態である。 収集した資料を総括すると、ハーグの文書館で入手した資料からは、オランダ植民地政府が1930年代にふたつの国際問題、主にカイロ滞在のインドネシア人の動向(特にパレスチナ問題との絡み)と、日本の動向に神経をとがらせていたことが明らかになる。イスラーム系メディアは国際情勢に関しては中東に関する記事が多いものの、ヨーロッパで第2次大戦勃発後には、その脈絡で植民地インドネシアや他国の置かれた位置を展望する冷静な報道がなされている。その反面、国内に関しては世俗的民族主義者と協力した植民地議会設置問題に関する記事はそれなりに多かったが、宗教に直接触れる婚姻法問題やキリスト教使節の活動については、より熱を帯びた記事・論考が目立った。
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