本年度は初年度であるため、中央政府による土地および税制改革によって本研究の対象地域である西アナトリア地方の名家であるカラオスマンオウル家が所有していた大土地(チフトリキ)がいかなる取扱いを受けたのかを明らかにするための調査を行った。その結果、総理府オスマン文書局(在イスタンブル)に残存する膨大な資産台帳(そのすべては1840年代に作成された)のうちマニサ県マニサ郡に関する資産台帳は総計54冊存在することを確認し、そのすべてをCD-ROM形態で入手した。現在この資料の分析を進めている。この作業は、現在国際的に議論がなされているオスマン帝国、すなわち中東およびバルカン地域において18世紀に勃興した地方名士(アーヤーン)の国家および在地社会との関係を具体的なデータに基づいて明らかにすることを可能にする。このことは、これまでの議論がわずかなデータに依拠して多分に類推あるいは抽象的になされてきた現状をたしかな史料によって批判し、新たなパースペクティブをもたらすことになろう。そのパースペクティブとは、これまで中央権力による中央集権化政策の結果、アーヤーン層は勢力を喪失し、それが19世紀後半以後の近代化、すなわち中央集権的な近代国家へとオスマン帝国を変貌させたという見方に修正を迫るものである。なぜならば、アーヤーンは近代化改革の実施にもかかわらず、一定程度の影響力を在地社会においても、また中央においても保持し続けたと思われるが、その影響力の基盤はやはり土地所有にあったからである。前述の「資産台帳」の分析は、その事実を実証するものとなろう。このことはまた、近代以降の当該地域における「民族ないし宗教」紛争として、しばしば時事的・国際関係論的に語られてきたこの地域の問題に対する歴史学的なパースペクティブともなろう。つまり、本研究は当該地域における現代的課題の解決に向けても貢献するところ大であるといえる。
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