最終年度となる今年度は、古典期のマケドニア人のエスニック・アイデンティティのあり方を考察することによってマケドニア王国の興隆の背景に迫るという研究目的のため、マケドニア人とギリシア人の相互認識についてのこれまでの考察を総括し、そのうえで、本研究の最終的な到達目標である、相互認識という側面からのフィリポス2世のギリシア征服についての検討に取り組んだ。まず、昨年度に考察したマケドニアとギリシアの言語・文化の同質性・異質性という「実態」を整理し、そうした「実態」が、同時代の古典史料の分析や、マケドニアの木材の交易を軸として緊密に維持されたマケドニアとアテナイの関係からうかがえるマケドニア人とギリシア人の相互認識のあり方とどのように関連しているかについて検討した。一般のマケドニア人に関しては不明な部分が大きいが、ギリシア文化は、マケドニア王家のみならず、マケドニアのエリート層に前5世紀前半からかなり浸透しており、そうした「ギリシア化」は、ギリシア世界におけるバルバロイ観の変容およびギリシア人たる指標の比重の変化を背景に、マケドニア王家およびエリート層をバルバロイとしての蔑視から遠ざけることに寄与していたと考えられる。そして、前5世紀以来のマケドニア王家とエリート層の「ギリシア化」、およびマケドニアの木材という切り札の存在によって、マケドニア王をギリシア人として受け入れる素地がギリシア世界にすでにできていたということが、フィリポス2世のギリシア征服をスムーズに進め、その進展に拍車をかけることになったと結論することができる。こうした成果は、西洋古代史において重要な意味を持つマケドニア王国の台頭とフィリポス2世によるギリシア制覇の諸相を長期的な枠組みのなかで多角的に解明し、マケドニア史の「連続性」を軸としてその全体像を構築するための重要な土台となるものである。
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