研究課題
まず近代に書かれた通史を分析した。ハンガリー国家の一体性を当然の前提とする記述はあるものの、モハーチ敗戦をめぐる言説との関連は必ずしもはっきりしなかった。そこで今年度は図像資料を考察の対象に含めた。一体性を失った国家を、傷ついた不完全な有機体として表象する図像があるが、このような表象が、モハーチ敗戦に関連する「傷ついたハンガリー」のトポスの継承であることを確認した。このトポスがハンガリーだけではなく、神聖ローマ帝国等周辺諸国の状況および、中世以来のラテンキリスト教世界の文化的背景の中でこそ形成されえたことに関してその一部を、洛北史学会での発表において報告した。オスマン帝国に関する歴史書や文学作品等の記述を検討した結果、モハーチの敗戦以前から、オスマン帝国との戦いに関連して、「罪深いハンガリー人に対する神の罰としての『トルコ人』侵攻」、「キリスト教世界を異教徒から守る盾・防壁としてのハンガリー王国」といった言説が見られたこと、前者はモハーチ敗戦後にむしろ広まり、近代にまで継承されたことなどを確認した。後者の言説自体は消滅していくが、モハーチの敗戦により、キリスト教世界を防衛するという使命を果たせなかったことが、上記の「傷ついたハンガリー」のトポスと結びついている可能性を探った。これらの自己認識を示すトポスは、同時に他者としての「トルコ人」についての認識、特に無慈悲で非理性的な異教徒というイメージ形成と裏腹であった。これに関連する論文Some Aspects of Descriptions of the Turks in 16th century Hungaryを発表し、他方、ハンガリー貴族層の一体性言説の起源となり、近代国民史に至るまでハンガリーの歴史記述における自画像に強い影響を及ぼしたケーザイの年代記の特徴について、ハンガリー学会において報告した。
24年度が最終年度であるため、記入しない。
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Mediterran es Balkan Forum
巻: 18.szam (VII/2.) ページ: 2-6