マックス・ウェーバーは資本主義精神の由来をカルヴァン派の予定説という教義に見た。この理解にはすでに有力な批判がいくつも出されているが、彼の説は依然健在である。ウェーバー研究が特に盛んなわが国ではそうである。資本主義精神という経済領域に発する問題の由来を純宗教的な原因に還元する因果帰属の方法は意外性に満ち、その分野横断的な学際性がこの説の魅力であった。因果帰属の蓋然性はときに致命的な批判にさらされたが、そのたびに因果帰属の意外性がこの説を延命させた。羽入辰郎の批判はウェーバー説の意外性だけに照準を合わせたものであったが、彼の批判も大理論の惰力を完全に断つにはいたらなかった。このことはウェーバー説の蓋然性と意外性をともに葬るような議論を立てることが、学問史上の重要な課題であることを示している。 このような観点に立って、ウェーバーが彼の研究で取りあげなかった経済行為に着目した。贈与である。ウェーバーが資本主義精神の化身としてそれを例示するために取りあげたベンジャミン・フランクリンも、自分の事業に専心するばかりでなく、州内に大学を設立するために寄贈を募るなど金策に奔走していた。贈与は欧米の経済生活のきわめて重要な特徴で、ウェーバーの星ベンジャミン・フランクリンもそれから自由ではなかった。贈与の精神を比較宗教社会史的な観点から考察するため、財団史の研究に取り掛かった。財団を宗派に即して分類し、財団の主旨に関する比較研究を始めた。本年は救貧に関する財団を主に考察した。スイス、フランス、オランダのカルヴァン派の救貧制度を考察し、執事という専門の役職があり、カルヴァン派の下でも救貧が盛んであったことを明らかにした。また受益者は決して合理的に選ばれていたわけでないことも明らかにできた。
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