研究課題/領域番号 |
22520751
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研究機関 | 広島市立大学 |
研究代表者 |
田中 利幸 広島市立大学, 付置研究所, 教授 (10329336)
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研究期間 (年度) |
2010-04-01 – 2014-03-31
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キーワード | 無差別爆撃 / 核攻撃 / 空爆 / 大量虐殺 / 付随的損害 |
研究概要 |
朝鮮戦争期とその前後を含む時期に、一方では、実態とは全くかけ離れた「精密爆撃」主義の堅持と「付随的損害」の論理が確立し、それらが政治家を含む米国民の中に広く受け入れられていきながら、他方では「精密爆撃」主義や「付随的損害」論理とは対局にある大量破壊兵器である核兵器の数を急増させていき、ジェノサイド的核戦略を大多数の米国民が支持していった時期でもあった。なにゆえにこのように大きく矛盾する戦略思想が同時期に急速に発展し、しかもその矛盾がどのような経緯を経て、いかに、戦略家のみならず政治家や国民の間に容認されていったのか。本研究は、米国の方針としての「精密爆撃」と「核兵器(無差別大量虐殺)攻撃」という相矛盾する戦略が、いかにして併存するにいたったかを分析することを通して、「民間人の保護」という思想と、それとは相反する「敵国市民大量虐殺の国民国家的容認」が、なにゆえに現在も、その矛盾が矛盾として強く認識されないまま併存しているのかを考察・解明する。 これまでの研究調査においては、最も重要な米国防衛省ならびに米国政府作成の関連資料についてはほぼ収集が終わり、関連の2次文献についても8割ほどの収集が達成できている。当初予定していなかった「原子力委員会」作成の関連資料も発見・収集できたことは、これまでの研究の進展に大きくつながった。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
2012年度は以下の2点絞って調査研究を進めた。 1)朝鮮爆撃と核戦争に関するアメリカ国民の思考を反映する当時の様々な出版物や映画、特に新聞や大衆雑誌に掲載された関連記事・投書の類い、ニュース映画、劇映画などに関する情報の収集を、主として、Library of Congressと米国立公文書館において行った。その際の資料収集に当たっての重要な視点となったのは、「民間人生 命防衛に関する意識」、「付随的損害論」、「核戦争による無差別大量虐殺」の三要素か、米国民の大衆意識の中で、とのような関連性を持って受け入れられていったのか、その相互矛盾かどのようにして併存可能となったのか、という点である。 2)アメリカ政府が、朝鮮戦争期にどのような核攻撃戦略を具体的にたて、どこまでその準備を行ったのか。そのとき、政府閣僚ならびに軍指導部においては、市民の「無差別大量虐殺」の可能性について、どこまで明確に意識していたのかを、主として当時の「国務省」ならびに「原子力委員会」作成の関連資料(米国立公文書館所蔵)の調査も行い、大量の関連資料を発見できた。特に、当初の調査対象となっていなかった「原子力委員会」作成の関連資料を数多く発見できたことは大きな成果であった。 全体的にみれば、これまでの研究目的の達成度はほぼ順調に進んでいるが、アイゼンハワー大統領個人の関連問題に関する思想、ならびに アイゼンハワー政権が1953年末に打ち出した「原子力平和利用」と「核軍事力拡大」との関連性に関わる資料の調査発見の面では少し遅れている。
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今後の研究の推進方策 |
今後の課題としては、これまで果たせなかったEisenhower Library所蔵の関連資料の探索・収集にあたると同時に、これまで収集した資料の最終整理と総合的分析を行うこと。 Eisenhower Libraryでは特に以下の点に注目しながら資料の調査と収集に当たりたい。 (1)アイゼンハワーは第2次世界大戦末期の広島・長崎への原爆攻撃に対して否定的であり、且つ戦後NATO軍最高司令官として核戦略の強化に対しても消極的であったにもかかわらず、大統領に就任した1953年の年末に国連総会において「原子力平和利用」政策を打ち出したころには、彼の核兵器に関する考えはすでに一変しており、朝鮮戦争で核兵器を使用することも現実に考慮するまでに至った。彼の大統領任期中に米国保有の核兵器数は1千発から2万2千発にまで急増し、且つ核兵器使用の権限が戦闘司令官に与えられ、司令官の個人的判断に任せるという政策変更までがなされた。アイゼンハワーの核兵器に対する考えをこれほどまで急激に変更させた要因は何であったのか。また、それに対し、米国政府重鎮ならびに軍司令部関係者はどのように反応したのか。 (2)1953年末にアイゼンハワー政権が打ち出した「原子力平和利用政策」の裏にあった戦略的意図はいかなるものであったのか。ソ連の核兵器開発成功ならびにソ連が米国に先駆けて打ち出した「原子力平和利用政策」に対して、アイゼンハワー政権はいかなる政策手段を持って対抗しようとし、どのような経緯を経て「Atoms for Peace」政策の打ち出しとなったのか。さらには、実際に、自国内ならびに海外で強く推進された「原子力平和利用政策」と、アイゼンハワー政権の核戦略とはいかなる相互関連性をもっていたのか。以上の2点に焦点を当て、今夏にEisenhower Libraryにおいて調査を行う予定である。
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