昨年度は、研究最終年度として、これまで収集した資料の最終整理と総合的分析を中心に行った。しかし、これまでの研究過程で、当初の研究分析対象問題としては全く認識されていなかった、第2次大戦後、とくに1950年代冷戦期における米ソ間の核実験競争と核兵器急増という事実と、いわゆる「原子力平和利用」政策の急速な推進との相互関連性が、当該研究と密接に関連していることに気がついた。1950年代初期から米ソ両国が推進した「原子力平和利用」政策、特にアメリカの政策には、実は、「核(=兵器)アレルギー」の消去という目的が隠されており、市民レベルでの原子力(=核)エネルギーの「平和利用」受け入れを通して、核兵器増産・配備と使用可能性をも広く受け入れさせようという政治的、軍事戦略的目的が強く秘められていたことが、これまで収集した米国立公文書館所蔵資料の整理を行う過程で明らかとなってきた。 そのため、当初、昨年度予定していた米国Eisenhower Library所蔵の関連資料の調査・収集は、郵便での注文を通して行うにとどめ、米国の核兵器増大と「原子力平和利用」政策推進の相互関連性、とくに日本におけるケース(米国核抑止力と「原子力平和利用」の全面的受け入れ国)とニュージーランド(米国核兵器の通過・持ち込みと「原子力平和利用」の全面的拒否国)の比較対象に、最終年度の研究活動の焦点を当てた。この目的で昨年11月にはニュージーランドでの日本研究学会での論文発表に合わせて、ニュージーランド公文書館での資料調査・収集を行った。さらにまた、日本関連資料の調査・収集を、今年1月後半には国立国会図書館ならびに国立公文書館で行い、期待通りの成果をおさめた。
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