朝鮮戦争期とその前後を含む時期に、一方では、実態とは全くかけ離れた「精密爆撃」主義の堅持が確立し、それらが政治家を含む米国民の中に広く受け入れられていきながら、他方では「精密爆撃」主義や「付随的損害」論理とは対局にある大量破壊兵器である核兵器の数を急増させていき、ジェノサイド的核戦略を大多数の米国民が支持していった時期でもあった。なにゆえにこのように大きく矛盾する戦略思想が同時期に急速に発展し、しかもその矛盾がいかに戦略家のみならず政治家や国民の間に容認されていったのか。本研究は、米国の方針としての「精密爆撃」と「核兵器攻撃」という相矛盾する戦略が、いかにして併存するにいたったかを分析した。
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