『常陸国風土記』にみえる歴史的景観を考古学的に復原し、古代における地域運営の実態を描く目的から、郡家推定地:茨城県水戸市台渡里遺跡群での発掘により明らかになっていた、郡家に先立つ豪族居館について、未整理資料の洗浄、分類、接合、図化、写真撮影を行った。この分析は3年間をかけて実施し、報告書にまとめる予定であるが、洗浄、分類、接合について終了した。この台渡里遺跡を造営した有力者の系譜を把握することは本研究の最大の鍵であるため、居館の造営直前(6世紀後葉~7世紀前葉)に築かれた前方後円墳の中で、最も近距離に位置し、かつ最大規模の古墳を探索した。その結果、水戸市二所神社古墳がこれに該当する可能性が高まり、測量調査を行ったところ、当該期の茨城県下最大規模の古墳である可能性が高まった。郡家推定地から6km圏内に、当該期最大規模の首長墓群が存在したことを把握できたことは、律令期直前の地域首長を復原的に描くにあたり、一定の見通しを得ることができたといえる。なお、同古墳は伐採の結果、想定以上に大型であり、調査の力量が著しく超過した。このため、本年度に予定していた他の分析を繰り越すかわりに、律令期直前の地域首長の動きと郡司層の関係に、より焦点を絞ることとして、比較対象としていた筑波郡家推定地の分析を前倒しし、つくば市平沢3号墳の分析作業を一部実施した。その結果、律令期における郡司層と7世紀以前の地域首長層との関わりについて一定の知見を得ることができたので、その成果の一部を投稿論文としてまとめ、公表した。
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