研究課題/領域番号 |
22520762
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研究機関 | 新潟大学 |
研究代表者 |
橋本 博文 新潟大学, 人文社会・教育科学系, 教授 (20198691)
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キーワード | 豪族居館 / 古墳時代 / 変遷過程 / 権現山遺跡 |
研究概要 |
栃木県権現山遺跡の中期居館の実態解明をめざし、同遺跡の西半部において遺跡の広がりを探り大型竪穴住居址と3間×3間の一部床束柱を伴う掘立柱建物址の存在を確認できた。大型竪穴住居跡は遺跡の西部に位置する。1辺、8.9mと大型で、主柱穴は4本。炉の痕跡と考えられる焼土の分布が東部に見られる。南東部には貯蔵穴が位置する。時期は居館の継続時期の5世紀前半に当たる。全体の規模は依然として不明であるが、北東区の堀の走行方向を追求した結果、鈍角に開いていた北東辺の堀が鋭角に曲がって南西に延びることが判明した。それによって、不整形平面の居館の存在することが明らかになった。また、外郭施設の構造として、断面逆台形の堀が巡り、その覆土中層に榛名山二ツ岳噴出火山灰が堆積していることが確認できた。それと出土土器によって、権現山遺跡の居館の年代は5世紀前半~中ごろであることが明らかになった。発掘報告書を作成し、研究の基礎データを公表できたことは意義あることである。その総括では、不整形平面の居館の類例を探り、大型竪穴住居址の豪族居館における在り方や3間×3間の掘立柱建物址の性格を検討できた点は重要である。なお、調査区北東区で確認された堀で土層の断面剥離を行い、標本を作製した。今後、博物館の展示に活用することができる点で有意義である。他に、茨城大学と水戸市埋蔵文化財センター共催のシンポジウム『古代常陸の原像』に参加し、「古墳時代からみた豪族居宅の諸相」のテーマで発表し、古墳時代から古代への居館の変遷過程を明らかにしたことは、居館の変容を理解する上で重要である。
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現在までの達成度 (区分) |
現在までの達成度 (区分)
2: おおむね順調に進展している
理由
栃木県権現山遺跡の中期居館の実態解明において、全体の形状と、外郭施設の構造、年代観等の解明がおおむね順調に達成された。一方で、内部の実態究明は遺跡中央部を占める土地の所有者の協力が得られず難航している。しかし、隣接地から大型竪穴住居址や掘立柱建物址を確認することができたことは、当初計画に近い進展度である。
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今後の研究の推進方策 |
北関東の古墳時代後期の大型居館である群馬県原之城遺跡の正確な測量図を先ず作成する。それを基に、以前伊勢崎市教育委員会によって調査された部分の情報を落とし込み、合成基本図面を作成する。それを利用して範囲確認のためのトレンチ設定の位置を検討し、地元、伊勢崎市教育委員会の指導・協力の下、地権者と折衝する。9月には、原之城遺跡の範囲確認(一部遺構)調査を実施する。可能ならば、遺跡中央西半部のゴボウ栽培による深耕の影響が心配な地点の面的な遺構確認を行う。加えて、空中写真撮影を行う。堀の部分の調査が可能であれば、その断面の剥ぎ取りを計画する。さらに、堀内堆積物においてテフラ同定のための土壌サンプリングを行う。これは年代観を考える上で重要である。また、古環境を復元する上でも、花粉やプラントオパール、珪藻などの分析のための土壌サンプリングを計画する。一方、引き続き、以前、伊勢崎市教育委員会で実施した今井学校遺跡・原之城遺跡の出土遺物の再実測を院生・学部学生を動員して行う。なお、原之城遺跡の発掘調査が認められない場合は、権現山遺跡南区外郭施設の精査と南側に在るもう一つの方形区画地点の遺構確認調査を行う。また、原之城遺跡の堀部のジオスライサーによるボーリング調査で、発掘調査に代えることもありえる。
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