本研究課題は、南四国と瀬戸内の横穴式石室を比較検討することにより、古墳時代後期の両地域における交流実態を明らかにすることである。ただ、南四国は基礎資料が整備されていない。そのため資料の分析とともにフィールドワークを重視して研究を進めた。 本年度は南国市定林寺芝の前1号墳の墳丘測量調査ならびに石室実測調査を実施し、調査報告書を刊行した。ならびに前年度まで調査をおこなった南国市明見彦山1号墳出土遺物の整理作業を実施し、鉄器・須恵器の図化を完了した。 明見彦山1号墳と定林寺芝の前1号墳はともに風水的立地にあることが判明した。南四国への横穴式石室墳の導入過程には風水的選地が一つの鍵となることが考えられたため、横穴式石室の立地について昨年度に引き続いて分析を行っている。風水的選地は横穴式石室より1~2段階遅れて導入されている。土佐山田の伏原大塚古墳は風水的立地にないため、南国市に横穴式石室墳が集中して築造される段階に風水が導入された可能性が考えられる。風水的立地にある古墳は讃岐にも認められるため、こうした影響は瀬戸内から伝播したものと考えられる。ただし伊予の分析はまだなので瀬戸内のどこからかという細かな地域を特定できてはいない。しかし、横穴式石室自体も瀬戸内から導入されたものなので、横穴式石室墳に関わる様々な要素は、一時期にもたらされたものではなく、断続的に瀬戸内から南四国にもたらされたと考えられる。すなわち第1段階:明見3号型石室の導入、第2段階:舟岩型石室の導入(伏原大塚古墳)、第3段階:南国市域で横穴式石室が普及・風水的選地の導入、第4段階:角塚型石室の導入という各段階である。 各段階の影響が、瀬戸内のいずこからかという発信源の特定は残された課題だが、所期の目的はおおむね達成され、予定以上の調査を遂行することができた。
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