弥生時代になると水稲耕作技術の普及により、社会・生活様相は一変したとされてきた。しかし、弥生時代に相当する人骨の中には、さまざまな形質を持つものが含まれており、その様相は複雑である。すなわち、大陸からの水稲耕作など技術の伝播はあったものの、列島内で生活する人々は、大きく在来系と渡来系の二つに分けられてきた。 本研究では、古病理学的所見から、弥生時代人骨における3つの集団から前期末から中期にかけての様相を垣間見ることが可能となった。すなわち、北部九州に位置する人骨集団の中にも在来的な要素が強いものと渡来的な要素が強いものが含まれていることを確認しつつある。今後は、観察対象資料を増やしていくとともに、共伴遺物や遺構といった埋葬に関わる情報をも併せてみていく必要がある。 また、今年度においては、弥生時代を再考するため、縄文時代、及び古墳時代に相当する資料に見られる骨病変に関する所見調査を併せて実施している。 縄文時代人骨では、関東地方内においても、骨病変からみて、いわゆる縄文的な様相を呈する集団と弥生時代集団のように歯科疾患の出現頻度が高いものも含まれていた。古墳時代集団においては、人骨の遺存状態が不良であるため、詳細については不明であるが、歯科疾患の出現頻度がやや低い傾向にある。 水稲耕作により食生活が一変し、弥生時代はこれまでの時代とは大きく異なる様相を呈すると考えられてきた。しかし、その様相は複雑であり、骨病変から観察を実施すると、水稲耕作による影響は緩やかなものと捉えなおすことが可能となるかもしれない。25年度の研究調査の進展により、研究成果をまとめ上げ、弥生時代における様相を骨病変から詳細に提示していきたいと考えている。
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